竹内英明元兵庫県議の訃報を受け、多くの人が衝撃を受けています。
自宅でお亡くなりになり、どうやら死亡の原因が自殺の可能性があるのでは?
と言われています。
残された家族にとってはかけがえのない大切な人です。
大切な人を失った竹内英明元兵庫県議の家族について調査しました。
竹内英明元兵庫県議の家族構成は?妻や子供たちは?
優秀な県議だった竹内英明さんの家族構成はどんなものなのか気になりますね。
家族構成や妻や子供たちのことを調査しました。
1つずつ見ていきましょう!
竹内英明元兵庫県議の家族構成は?
竹内英明さんの家族構成は妻(令子さん)・長女(沙羅さん14歳)・長男(舜さん12歳)の4人家族です。
竹内英明さんは4人家族でその家族の愛に支えられ、そして家族にも大きな愛を注いだ人でした。
竹内英明元兵庫県議の妻は令子さん
竹内英明元兵庫県議の妻は竹内令子さんです
どんな時も夫婦で助け合い、二人三脚で乗り越えてきました。
竹内英明さんは、家族の愛に支えられて政治家として素晴らしい活躍をされてきました。
令子さんは家事や育児をこなしながら夫が政治活動に専念できるように陰ながら支え、
竹内英明さん自身も政治活動をするにあたり妻の支えなしにしては成し得なかったと言っています。
竹内英明さんの『ひであき日記』というブログには妻は令子さんのことは『R』として登場します。
昨日からRの体調が悪い。少し前に驚いたこと。息子がお風呂上がりにお茶を飲もうとしたとき、自分で冷蔵庫を開けて飲むことはできないため、誰かに頼まないと飲めないのだが、隣にいる私に言わずに風呂にいるRに「お茶が飲みたい」と言いに行ったこと。
ひであき日記より引用
ブログの中では家族のことや子供達のことや『R』令子さんのことが記されていて
令子さんが竹内英明さんにとってなくてはならない存在だということがわかります。
竹内英明元兵庫県議の子供は2人!
幼い頃の長女(沙羅さん)・長男(舜さん)です。
ひであき日記には度々子供たちの姿が登場します。
家族の日々の暮らしの些細なことを日記の中で綴られていて家族に愛を注ぎ、
とっても家族を大切にしている様子が伺えます。
上の写真⬆️はお墓参りに子供たちと一緒にしている様子です。
子供たちと過ごす時間を大切にしているのが手に取るようにわかりますね。
大きくなった2人はお父さんの姿を見てスクスクと育ちました。
まだまだお父さんが必要な年齢ですから、
お父さんが亡くなりどんな気持ちがと想うと心が張り裂けそうです。
竹内英明元兵庫県議の両親や家庭環境は?政治家としてのルーツは母だった!
竹内英明さんは小さい頃はどのような家庭で育ったのでしょうか?
素晴らしい政治家になった背景を探ってみましょう。
竹内英明元兵庫県議の育った家庭は?両親は?妹が2人!
竹内英明さんは5人家族で育ち妹が2人います。
- 父:亮三さん(2012年にお亡くなりされました)
- 母:昭子さん(2024年にお亡くなりされました)
- 妹さんが2人
父:亮三さんはどんな人?
高校当時の父との証明写真比較 似てますか?
ひであき日記
左側が父:亮三さん 右側が竹内秀明さんです。
鼻と口元がよく似ていますね。
凛々しいですね!
私自身の父はサラリーマンで基本カレンダー通りの勤務だった。入院患者さんのいる医療機関だったので事務職でも泊り勤務や日直はあったが、交代制なので基本的には土曜は半ドン、日曜は休みだった。残業も月始めこそ結構あったが、月間ずっと帰宅が遅いみたいなことはなかった
ひであき日記より引用
お父さんはサラリーマンで医療機関の事務職でした。
帰りが遅くなることもなく基本的には日曜日お休みだったと記されています。
母:昭子さんはどんな人?
父母に育てられましたが、子どもたちのしつけは総じて母の役割でした。食べる物のこと、寝る時間のこと、テレビをみる時間のこと、小さな頃は厳格な感じでした。いまになって全て私たちのことを思ってのことだとわかります。また、兄妹3人を分け隔てなく同じように育ててくれたと思っています。
ひであき日記より引用
母:昭子さんは小さな頃は厳しく愛情を持って兄妹3人を分け隔てなく育てました。
クリスマスに鶏の骨付きモモ焼き!子どもの頃の写真を思い出しますね。
ひであき日記より引用
真ん中は妹ですね
真ん中に写っている女の子が妹さんの1人みたいですよ!⬇️⬇️⬇️
そして、そしてチキンを手に頬張っているのは母昭子さんです。
3兄妹は協力し合い温かい家庭でそだったんですね
母親からの揺るぎない愛情!政治家としてのルーツは母親だった!
母:昭子さんは勉強をしろとは言いませんでしたが、
日本の歴史の本を読んでいた竹内英明さんに次は「三国志」はどうかと勧めてくれたり
かなり早い段階でパソコンを使う環境を用意してあげたそうです。
また、竹内英明さんが選挙に出ることになっても何も言わず受け入れずっと支え続けました。
母親との悲しい別れは2024年10月末に!
母親を失った悲しみについて「これまでの人生で一番寂しい」とブログに記されています。
竹内秀明さんの『ひであき日記』はずっと欠かさずに更新され続けていましたが
母との悲しい別れがあった後に更新がストップしています。
色々なことがあった上に、母との別れもあり精神的に大変辛い思いをされたのでしょう。
竹内英明元兵庫県議の生い立ち!素晴らしい学歴と経歴!
早稲田大学には奨学金を借りて卒業し、在学中に奥田敬和衆議院議員の学生秘書になります。
そんな竹内英明さんの生い立ちと学歴そして経歴を見ていきましょう。
1974年4月6日姫路で誕生
聖マリア病院(兵庫県姫路市)で誕生!
可愛いですね
昭和49年4月6日に、(父 )亮三 (母)昭子の長男として誕生しました。
1977年姫路市立砥堀保育所に入所!
3歳で保育園に通います。
すみれ組だって!
保育園でもこんなに賢そうなお顔立ちです。
1980年幼稚園は姫路市立砥堀幼稚園
6歳になり1年間だけ幼稚園に!
水泳を習い始めたんだって!
喘息があったため水泳を始めました。
ピープル北姫路に通ってたよ!
1981年小学校は姫路市立砥堀小学校
4年生からラブビースクールに通い始めました。
スクールウォーズの影響らしい・・・
運動は得意だったようで、
- 6年生の時の姫路市陸上競技大会では走り幅跳びで5位
- 6年生の時の姫路市水泳記録会で50M平泳ぎで5位
と大活躍でした。
運動会のリレーではヒーロー!
1987年中学校は姫路市立増位中学校
バレーボール部に所属しセッターで活躍!
水泳部じゃないんだ!お誘いはあったみたいですよ!
1990年高校は兵庫県立姫路西高等学校
歴史や古文や漢文などが好きな教科!
3年生の頃には東京へ行き司法試験を受けようと決意します。
弁護士や検事になる夢があったんですね!
1993年大学は早稲田大学政治経済学部政治学科
奨学金を借りて勉学に取り組みました。そして様々な活動に取り組み始めます。
どんな奨学金?
- 困窮学生に支給される小野梓記念奨学生
- 日本育英会・早稲田大学からも300万以上
政治を志す会に入会!
- 早稲田大学鵬志会に入会
ボランティアサークルにも所属
- 池袋セツルメントというサークル
- 共働き家庭の子供たちの面倒を見る!
子供たちから、「くれよんしんちゃん」と呼ばれていたらしい!
食べ歩きサークル「コンステレーション」を創設
- 友人と2人で作ったサークル
- 老舗の洋食屋さんなど食べ歩き
- カレー・ラーメンが得意分野
- 食べ放題にもチャレンジ
学生秘書になった!
- 在学中には奥田敬和衆議院議員の学生秘書になりました
学生時代に議員秘書なんてヤバイ!
などなど様々な活動に積極的に参加されていました。
1997年(株)セブンイレブン・ジャパンに入社
早稲田大学を卒業し、セブンイレブンジャパンに入社します。
政党本部に就職するか悩んだけれど一度は民間企業に就職を!と先輩に勧められて決めたそうです。
民間企業での経験が政治活動に役に立つとアドバイスしてくれた先輩もすごい人ですね!
入社式では、新入社員代表で鈴木敏文会長と握手しニュースにも取りざたされます。
就職先にセブイレブンを選んだ理由は
コンビニエンスストアをインフラとして活用すれば消費者との接点を押さえることができると考えたからだそうです。
1998年政治の世界に!新党友愛事務局に入局
衆議院事務局に配属されます。
2003年姫路市議会議員に初当選
初当選してからは、地域活動に取り組みます。
2007年から5期連続兵庫県議会議員
地域政治に長く携わってきた経験を生かし兵庫県議会議員として多くの政策やプロジェクトに関わります。
そして兵庫県の発展のために尽力を尽くしてきました。
たくさんの地元住民からの支持を集めていた竹内秀明さんは丁寧な姿勢で課題に取り組んでくれました。
活動分野:地域開発・教育政策・福祉促進
兵庫県議としての功績と取り組みは?
- 地域経済の活性化
- インフラ整備
- 教育環境の改善
- 福祉の向上
など多岐に渡り活動し功績をあげました。
そして辞職・・・・
県議会会派「ひょうご県民連合」に所属し県議会調査特別委員会(百条委)の委員を務めていました
2024年11月の兵庫知事選挙の間に騒動が起こりましたよね?
11月17日の投開票後の11月18日に議員辞職しました。
辞職後の動向などが注目されているところでした。
まとめ
この度悲しい訃報が届き世間は衝撃を受けました。
ご冥福をお祈りするとともに竹内英明さんのご家族を心配する声も多いです。
竹内英明元兵庫県議は4人家族で妻令子さんと2人のお子さんと幸せに暮らし、
妻令子さんは夫が政治活動に専念できるように献身的にサポートし家事や育児をこなしていました。
その様子は『ひであき日記』に綴られており政治家としての活動や家族を大切にしていることがわかります。
竹内英明さんの政治家としてのルーツは母昭子さんにあり、昨年の10月末の母との別れ以来
あれだけ熱心に更新されていた『ひであき日記』も更新されなくなりました。
兵庫県議として素晴らしい功績を残し地域活動に取り組まれていた竹内英明さんの訃報は
いまだに信じられません。